ありがとうは幸せの種 言葉のチカラであなたは幸せになれます。あなたが開運する言葉や考え方、人生の楽しみ方などを紹介しています。
ありがとう森ブログNo.1,937
「ありがとうの森 幸せ毎日新聞」
2018年7月27日 金曜日
あなたが結婚していないとしたら、
とても参考になるお話かもしれません。
あなたが結婚しているとしたら、
なるほど!とうなずくお話かもしれません。
家族関係でも同様に受け止めて考えてみてください。
゚☆,。・:*:・゚★o(´▽`*)/♪Thanks♪\(*´▽`)o゚★,。・:*:・☆゚
【大好きな人と結婚できても意外に別れやすい】
『ありがとうの神様』
小林正観 著 ダイヤモンド社より
゚・:,。★\(^-^ )♪ありがと♪( ^-^)/★,。・:・゚
結婚には、次の「4つのパターン」があります。
・大恋愛結婚
・恋愛結婚
・お見合い結婚
・いいなずけ婚
「大恋愛結婚」と、「恋愛結婚」の違いは、周囲の反対があったかどうか、です。
親、親戚、上司、同僚などから「絶対に、やめたほうがいい」と反対があった場合を「大恋愛結婚」、
反対されずに祝福された場合を「恋愛結婚」といいます。
では、この4パターンの中で、「もっとも離婚率が高い」のは、どのパターンだと思いますか?
一番離婚率が高いのは「大恋愛結婚」
2番目に離婚率が高いのが、
「恋愛結婚」、3番目が「お見合い結婚」で、
一番低いのが「いいなずけ婚」です。
どうも、「自分の好き嫌い」が入れば入るほど、離婚率は高いようです。
結婚相手は、「自分が、ただひたすら人格を磨くため」に存在しているらしく、
好きな人と結婚したからといって、幸せになれるわけではありません。
自分で好きになった人を追いかけて、「ついに妻にした」「ついに夫にした」という結婚は、「意外に別れやすい」と思ってください。
自我を通して結婚した場合は、「自分が中心」にあるため、自分が相手を嫌いになると離婚につながります。
反対に、「結婚してください」と言われた人に対して
「はい、わかりました。私を選んでいただいて、ありがとうございます」と手を合わせて感謝した場合は、長続きするようです。
1000組以上の仲人(なこうど)をして、「1組も離婚をしていない」という方がいます。
この方は、「どうやって男女を選んで引き合わせているのか」というブライダル雑誌の取材に、次のように答えていたそうです。
「女性に条件をつける男性も、男性に条件をつける女性も選びません。
『相手が女性なら誰でもいい』
『相手が男性なら誰でもいい』
と考えている男女だけを引き合わせています」
この方の発言には、「結婚の本質」が隠れていると私は思います。
結婚相手が自分に合うか合わないか、ではなく、「自分の問題」だということです。
条件をつけたり、わがままを言ったりしている人は、誰と結婚してもうまくいかないでしょう。
男性運がないのも、女性運がないのも、運がないからではなく、自分が条件を振り回しているからです。
それは、結婚のみならず、すべての人間関係、すべての社会関係でも同じです。
「あーだ」「こーだ」と言わないで、「私を選んでくれてありがとう」という心で生きていくことができたら、
親子関係も、夫婦関係も、仕事関係も、ものすごくラクになると思います。
その人間関係の中で「私を選んでくれて、ありがとう」と言えるようになったら、問題が起きることは少なくなるはずです。
♪( ^-^)/★,。・・:,。★\(^-^ )♪ありがとう
♪3秒で幸せ♪
私を選んでくれて
ありがとう ありがとう ありがとう
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
「あーだ」「こーだ」と結婚相手に言わないで
選んでもらってよかった!と感じた人、幸せですね~
「あーだ」「こーだ」と自我ばかり働かせている人間関係で生きていたい人には
ちょっと受け入れにくいお話しかもしれませんが、
「楽」で「楽しい」人生をニコニコしながら生きている人が世の中にはいます。
あなたは、あなたの親を選んで生まれてきた。
あなたの子供はあなたを選んで生まれてきた。
「私を選んでくれて、ありがとう」と思えたらいいですね。
●小林正観さんSKPホームページ
http://www.skp358.com/
今日もありがとうの森行きのバスに乗って
「幸せ一万尺」「ありがとう一万尺」♪出発進幸!(^^)!♪
自分が自分の神様
自分に感謝 ありがとう
(ありがとうノートプレゼント465冊目)
神様は、どこにいるの?
神様かい?
見たいなら
神社に行って、ありがとうを伝えたら
神社の御神殿に、鏡があります。
ご神鏡です。
その鏡をのぞいたら
神様がそこにいるから✨
必死になってのぞくと映っているのは
鏡をのぞく自分の姿です✨
そう、神様って自分の中にいるんだよ。
自分が神であることを自覚するには、
鏡「かがみ」の真ん中の
「が(我)」
をとることだと言われています。
(「かがみ」 から 「が」 を抜くと 「かみ」)
大事な神様を大事にしてね
自分にもありがとうだよ
昨日から、にしぽんのところは雨は大丈夫ですか?
と幾人かの方から連絡をいただきました。
大丈夫です
ただ、昨日の帰りは、家にたどり着くのに
道路が冠水した中を2時間以上かけて
帰ってきました。
皆さんもご安全に、
あなたに被害がないことを祈ります
今日は、地元で講演
その話は明日ね(^○^)
今日はメルマガのお話シェア
いい話ですから
↓
ありがとうの森No.2,676
読んで実践するといいことがどんどんと増えてくる
3秒で幸せ ありがとうの森ランド
「ありがとうの森 幸せ毎日新聞」
2018年7月7日 土曜日
七夕の日に柳井市看護協会講演の日を迎えました。
看護の仕事は大変な仕事。
そんな看護の世界にありがとうの種まきしてきますね。
゚☆,。・:*:・゚★o(´▽`*)/♪Thanks♪\(*´▽`)o゚★,。・:*:・☆゚
【「言葉が現象化する」の本当の意味】
#小林正観
『運命好転十二条』五月書房
゚・:,。★\(^-^ )♪ありがと♪( ^-^)/★,。・:・゚
「言葉が現象化する」と言うと、多くの場合、
誤解されている部分があるようです。
「こうなりたい。ああなりたいと口に出して言うと、それが実現する」
という誤解です。
「言葉が現象化する」というのは、
たとえば、神社仏閣に行って、良縁祈願というものをお願いしたとします。
「いい人と出会わせてください。いい人と結婚したいのです。素
敵な人と出会わせてください」と100回お願いをしたとします。
そうすると、その言葉をまた言いたくなるように現象化します。
つまり、いい人や素敵な人にはなかなか出会わない、
という現象が起きるのです。
同じように「商売繁盛をお願いします」と千回行ったとします。
千回それを言ったことによって、
また同じ言葉を千回言いたくなるように現象がセットされます。
「言ったとおりの言葉をまた言いたくなるように、
言った数と同じ数だけまた言いたくなるように、宇宙では現象化が始まる」
というものです。
聖書の中にこんな言葉があります。
「はじめに言葉ありき。言葉は神とともにあり。言葉は神なりき」
「言葉は現象化する」という宇宙の大法則を述べたもののような気がします。
それも、その言葉を言ったらその言葉が実現する、
というものではないと思います。
「言葉が現象化する」というのは、
「その言葉をまた言いたくなるように現象がセットされる」
というふうに、私の認識の中ではとらえられました。
これは神社仏閣に行ってお願いごとをする、
そういうことを要求するということが、
ほとんど意味をなしていないということにもつながっています。
では「言葉が現象化する」、つまり
「その言った言葉をまた言いたくなるように現象がセットされる」
のであれば、最も効率の良い言葉は何でしょう。
たとえば「うれしい」という言葉を一年間に千回言ったとします。
そうすると、その「うれしい」という言葉を
また千回言いたくなるように、来年は現象がセットされます。
「楽しい」という言葉を二千回言ったとします。
その「楽しい」という言葉を
また二千回言いたくなるように現象がセットされます。
「幸せ」という言葉を年間三千回言ったとします。
その「幸せ」という言葉を
年間三千回言いたくなるように現象がセットされます。
一番効率の良い言葉は、「ありがとう」「ありがとうございます」です。
「ありがとう」「ありがとうございます」
という言葉を年間一万回言ったとします。
そうすると来年「ありがとう」「ありがとうございます」という言葉を、
また一万回言いたくなるような現象がセットされ、次々に降ってくるのです。
「うれしい」「楽しい」「幸せ」、そして「ありがとう」という言葉を、
何千回何万回と宇宙に向かって言ったとすると、
その言葉を同じ数だけ言いたくなるように宇宙の現象がセットされます。
そして、「うれしい」「楽しい」「幸せ」「ありがとう」と
言いたくなるような現象が降ってくるのですが、
それがどんなことであるのかはわかりません。
だから楽しいのです。
おもしろいのです。
そして、ワクワクします。
ドキドキします。
このワクワク感、ドキドキ感というのは、
何にも代えがたいおもしろさであり楽しさです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
毎日の生活の中で、「うれしい」「楽しい」「幸せ」「ありがとう」
という言葉をたくさん使ったほうがいいですよ、
と言うと、「うれしい」ことも、「楽しい」ことも、「幸せ」なことも、
「ありがとう 」というようなことも
そんなに無いから言えない、と言う人がいる。
そして、愚痴や泣き言や、不平不満や文句や悪口ばかりを言っている。
愚痴や泣き言や不平不満を言っている人は、
また来年も、愚痴や泣き言や不平不満を言う人生を歩む。
「言葉が現象化する」
これは、商売も、病気も、トラブル、困難もみな同じだ。
今、病気であっても、 「うれしい」「楽しい」「幸せ」「ありがとう」
という言葉を多用する人はいる。
「うれしい」「楽しい」「幸せ」「ありがとう」 といつも言っている人の周りは、
明るくて、あたたかい空気が流れていて、笑顔がたえない。
だから、人が周りに集まる。
反対に、愚痴や泣き言や、不平不満や文句や
悪口ばかりを言っている人の周りには、
暗くて、冷たい空気が流れていて、不機嫌なオーラがただよっている。
だから、人がどんどん離れていく。
人生においては、「言葉が現象化する」の本当の意味を知る必要がある。
「人の心に灯をともす」
♪( ^-^)/★,。・・:,。★\(^-^ )♪ありがとう
♪3秒で幸せ♪
言葉の現象化を知ったら
ありがとう ありがとう ありがとう
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
「病気を治したい」という人が病気から離れられないのはそういうこと。
「アトピーを治したい」とか「結婚したい」とか
「したい」をずっと言い続けてしまう人生になっていないでしょうか。
あなたの言葉の現象化は?
けっこう、周りの人の言葉は気になっても、
ついつい言ってしまっている自分の言葉に
気をつけたほうがいいかもしれません。
寒い、暑い、疲れた等もそうです。
まずは、五戒を言うのをやめる。
これが最初の修行ですね。
自分の言葉の現象化、おもしろがった人はおもしろいのだ~!(^^)!
・・・・・・・・・・・・
今日もうれしい♪楽しい♪ありがとう♪
幸せのユートピアで過ごそう♪
今日もあなたにすべてがちょうどいいことが起きてきます。
今日も、考え方一つで幸せになれる、ありがとう。
あなたにいっぱいいいことがやってきます。
。:.゜ヽ(*´∀)ノ゜.:。+゜
●◎●◎●◎●◎●◎●◎●◎●◎●◎●◎●◎●◎
☆心が落ち込んだら帰っておいでよ
今日もいい日だ!運がいい!
心をありがとうの森にして
3秒幸せ詩人 ありがとうの森
筆文字アーティスト 西本 敏昭
☆ありがとうの森ホームページ☆
http://arigatounomori.iinaa.net/
☆ありがとうの森ブログ最新記事☆
http://arigatounomori.blog-mmo.com//
■7月7日(土)「がんとともに生きる」講演会(柳井看護協会)
■7月14日~15日 京都のゆかりん山口来訪
●7月21日(土)長野県上田市筆文字(きくりん、和ちゃん、ゆっこちゃん)
https://www.facebook.com/events/1968230339884670/
●8月5日(日)北海道札幌筆文字(梨花ちゃん)
https://www.facebook.com/events/1868056549892555/
■8月11日~12日 福井のともパン山口来訪
●8月19日(日)島根県出雲市筆文字(はるちゃ、純ちゃん)
https://www.facebook.com/events/220991311994413/
●9月長崎で筆文字講座開催(日程は未定)
●10月7日(日)岡山県新見市筆文字(やたちゃん)
●11月福岡県田川市筆文字(美恵ちゃん)
●12月1日(土)兵庫県姫路市筆文字(しらともちゃん)
詳細はお問い合わせを(^-^)/
七夕、我が家の短冊何が書いてあるか見えないね(^○^)
小さな愛をつみかさねて
ありがとうありがとうありがとうの森
(ありがとうノート1,000人プレゼントNo.430)
facebookは時々、さまざまな方からいただくイイネの数を教えてくれます。
たくさん、たくさんの愛、イイネに励まされて今日も一歩一歩アップしています。
36万回のイイネにありがとう
昨日は単独・無酸素での登頂にこだわり続けた
登山家・栗城史多(くりきのぶかず)さん が
エベレストで遭難し、死亡というニュースが流れた。
目にした時、ウソ!と心で叫んだ。
栗城史多オフィシャルサイト
http://www.kurikiyama.jp/
栗城史多さん、
「今は、このエベレストを苦しみも困難も感じ、感謝しながら、登ってます」
などと、Facebookに投稿していた。
小林正観さんの書籍を栗城さんがリュックに入れて登山していた話は、
正観さんも知っておられ、不思議な人ですね~と話されていた。
栗城史多さんの単独・無酸素登山の成功を祈っていたので、残念です。
登山家・栗城史多(くりきのぶかず)さん
困難を感謝に変えて一歩一歩歩く姿に勇気をもらいました。
合掌、ありがとう。
以前のアップより
↓
☆栗城 史多(くりき のぶかず)さんは
エベレストへ単独・無酸素登頂をする登山家
多くの方がすでに知っていらっしゃいますよね。
栗城さんは、エベレストに登頂するとき、リュックに
小林正観さんの本を入れていたそうです。
正観さんも、その話を聞いて講演で栗城さんのことを
話されていました。
1グラムでもリュックを軽くして誰もが登山するのに、
本を入れて登山する。
しかも、栗城さんがやっているのは無酸素です。
なんで、そんな、無理だろうと誰もが思うことに
チャレンジしているのが栗城さんです。
栗城さんは小林正観さんの本
『釈迦の教えは「感謝」だった』を
たまたま手にして以来、山に行く時いつも携帯。
栗城さんはこう言っています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
僕は山に登って初めて
「生かされている」
ことを知りました。
苦しい時
「ありがとう」
と言って乗り越えます。
『釈迦の教えは「感謝」だった』
この本には苦しみや悲しみがどこから来るのか、
易しく説かれています。
─────────────────────
著者である正観さんは、その話を聞いて、
講演会で
知らなかったんですけど
『釈迦の教えは「感謝」だった』には苦しみや悲しみがどこから来るのか
そんなことが書いてあるらしいですよ。
そう話されて会場の笑いをとっていらっしゃいます。
------------------------------------------
二人ともすごいなあ・・・
講演会の話を聞いてそう思いました。
栗城さんが正観さんの本にすごい気づきをもらった。
一歩、一歩山を登るたびに
「ありがとう」
「ありがとう」
「ありがとう」・・・
普通の人にそんなことできませんよね。
しかも、本をリュックに入れているんです。
そして、正観さんはその話を聞いて自慢するどころか、
「知らなかったんですけどそんなことが書いてあるそうですよ」
このおごらない言葉、その姿勢
さすがだなあと思いました。
その栗城さん、前回(4回目)の登山が失敗に終わり
4回目の登頂で負った指・鼻の凍傷が
5ヶ月経った今でも重症で、今後に注目が集まっています。
診断では指9本の第二関節から先を全て切断しなければならないとのことです。
それでも今なお、次のチャレンジを目指し
次のように語っています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この指は僕にとって家族であり、今までの様々な困難を支えてくれた仲間でもあります。
ご飯を食べたり遊んだり、昔は野球をしたり、この指との思い出は数えきれないほど沢山あります。
ヒマラヤでの厳しい登攀や極寒強風の中でも、指は常に頑張って僕を守ってくれました。
凍傷は低酸素と低温で血液の循環が悪くなった時に、脳と心臓に血液を送るために自ら細胞を閉じていくのです。
つまり、僕の指は僕の命を守る為に自らの命を閉じたのです。
だからこそ、次は僕が守る番です。
再生させる事を諦めてはいけません。
少しでも可能性があれば、諦める必要もありません。
一人も欠ける事なく、家族みんなで元気になって、そして再びエベレストに向かえるように奇跡に挑戦します。
ナマステ。
否定という壁への挑戦
<栗城史多くりきのぶかず>
些細なきっかけから登山と出会い、一つ一つの山を登る中でいつしか海外登山に憧れはじめました。
大学3年の時に単独で念願の北米最高峰マッキンリー6194mに単独で向かおうとした時、周りからの声は応援ではなく、否定の声ばかりでした。
その時間は一人で山にいる時よりも最も孤独な時であり、目の前にまさに否定という壁がそびえ立ってました。
出発直前の空港で、父から電話で一言「信じてるよ」という言葉をかけてもらい、僕は一歩踏み出すことができ、そして今の自分がいます。
最近は講演で学校や企業に行くと、「失敗は悪。失敗が怖い。できない。だからやらない方がいい」という否定の壁をよく感じます。
否定という壁が多くなれば、挑戦だけではなく夢や目標を持たせない世界になってしまいます。
今まで山を登ってきて最も心に残っているのは、登頂した山よりも登ることができなかった山の方かもしれません。
それは決して苦い思い出としてではなく、自然の偉大さに触れ、謙虚さ、優しさを教えてくれました。
つまり、何かに挑戦するということは、成功・失敗、勝ち・負けを超えた世界が必ずあるということです。
しかし、挑戦そのものを否定してしまえば、成功も失敗も何も得ることはできません。
その否定という壁を冒険の世界を通して少しでも無くし、応援し合う世界に少しでも近づきたい。
その想いから、2009年からは「冒険の共有」という秋季エベレスト生中継・配信に挑戦してきました。
冒険の共有は、ただ登る姿を見せる登山でも、流行りの配信でもありません。
挑戦における、失敗と挫折を共有します。
なぜなら本当の挑戦は、失敗と挫折の連続だからです。
それを共有することで自分と同じように今、否定という壁に向かっている人、見えない山を登る全ての人達の支えになり、自分の山登り(人生)を楽しめる人を増やしていく。
それが、僕が目指す頂の世界です。
冒険の世界では、自然における未踏や未開の地で己の限界に挑戦しますが、僕は人間社会も自然の一部と考えています。自分の限界に挑戦しながらも、人間と社会が持つ心の壁を登ります。
ヒマラヤのような青い空の世界を目指して。
栗城史多
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