ありがとうの森ブログNo.977
一昨日、宇部市で行われた【幸縁会】
居酒屋「てっぺん」の創業者。大嶋啓介氏
株)みのはら(MDS)代表取締役社長 簑原雅智氏
お二人によるコラボ幸縁会の垂れ幕を書かせていただき、
ご縁紡ぎの仲間が飾りつけてくれました。
垂れ幕の前で大嶋啓介さん、蓑原雅智さんがポーズのショット
残念ながら講演会には行けなかったけど、
文字だけでも参加したことで、未来はまたひとつつながっていく。
すごい朝礼でおなじみ居酒屋てっぺん
http://teppen.co/
4年前にてっぺん 渋谷 女道場に行きました。
http://arigatounomori.blog-mmo.com/Date/20100427/
感動を呼ぶところに人は集まるものです。
なんでも、本気でやれば疲れない。
疲れるのは、本気がまだまだ足りないのかも。
そこに楽しむをプラスするとやめられない♪
わたしの愉しむの領域もそこに足を踏み入れています(^O^)/
今日も、幸せです。ありがとう。
今日も、ありがとうを千回言いましたか?(^O^)
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願い事はするな。 「ありがとうござ います」と祈る だけでいい。
宗教評論家/大正大学客員教授 ひろさちや
私の父は、自分の母親の職業を嫌いまして外に飛び出して薬屋になったんですね。父の母親、つまり私のおばあちゃんは何をやっていたかと言うと、芸者屋です。父は芸者屋を継ぐのがイヤだったんですね。で、外に飛び出した。おばあちゃんは長男夫婦と孫がいなくなったもんですから、寂しくなって、孫の私を引っ拐って、引っ拐ってというのはおかしな言い方ですけど、私を自分の家に連れて行ったんです。それで私はおばあちゃんのもとで育ちました。だから、私が小さい頃やっていた遊びは芸者遊びなんです(笑)。
祖母の家は浄土宗でしたので、私は祖母から宗教教育をしつけられました。たとえば、朝晩、仏壇にお祈りしてからしかご飯を食べさせてもらえない。夜寝るときも仏様を拝んでからしか寝させてもらえない。そういう習慣をつけられたわけです。
そこまででしたらどこの家でもやっていたと思うんですけど、祖母がちょっと偉かったと思うのは、「良彦な(良彦というのは本名なんですが)、仏さんを拝むときにはな、絶対お願い事をするな」と教わったわけです。で、「拝むときは、ありがとうございましたと言うように」と、こう教わったんです。
私は子どもですから「はい、はい」と言って聞いてるんですが、ときには忘れてしまうんですね。で、忘れた頃を見計らっておばあちゃんは私に聞くんです。「お前、今何を拝んだんや?」って。
「あんな、おばあちゃん。今日、算数の試験があんねん、そやからな100点取らしてくださいと拝んだ」と言ったら、「バカやないか、あれだけお願い事をするなと言ってあったのに、もういっぺん拝み直してこい」と言われて、で、またしょうがないから仏壇開けてチンチンとやって、「さっきの願い事は取り消しです(笑)」と言って、「ありがとうございました」と拝んで、やっと朝ご飯を食べさせてもらいました。
祈りには請求書と領収書がある
小学校の高学年になっておばあちゃんに聞きました。
「おばあちゃん、ほんならなんでな、願い事したらあかんのや?」って。
「知らん」
「知らんで人にものを教えるなんてけしからんやないか」
「わてかておばあちゃんから教わったからそれを教えてるだけや。お前も自分の子どもにそう教えりゃあいいがな」って理屈にもならんことを言いました。明治生まれのおばあちゃんですから、そりゃあ理屈は知らん。しかし、私は後になってこう考えるようになりました。お祈りには二種あると。一つは「こうしてください。ああしてください」という請求書の祈りです。そういうお祈りはしちゃいかんのだ、と。で、私がおばあちゃんから教わったのは「ありがとうございました」と感謝する領収書の祈りでした。
結局、南無阿弥陀仏の「南無」というのは「仏様にお任せする」という意味です。お任せした以上はどんな結果が出ようと、それは受け止めるべきなんです。それが「ありがとうございました」という祈りです。
たとえば、大学入試で受験生が「合格させてください」と祈りますね。しかし、神様も仏様も全員合格させるわけにはいきません。定員がありますからね。だから、「私を合格させてください」と祈ることは、「他の誰かを落としてください」という祈りと同じなんですね。論理的にはそうなるわけです。
そんな祈りを神様や仏様が聞いてくださるはずはないんですね。そうすると、やっぱり「神様、仏様がいいと思われるようにしてください」という祈りがいいわけです。
人間の「物差し」では決まらない
人間の「物差し」で物事を見ますと、大学に合格することは素晴らしいこと、おめでたいことで、落ちるのは不幸なことと思ってしまいます。しかし、たとえば、現役で何とかギリギリで合格した。しかし実力が付いていなくて、大学の授業についていけず、落ちこぼれて、中途退学せざるを得なくなる学生もいます。それであれば1年くらい浪人して入ったほうが、はるかにいい大学生活を送れるかもしれません。
あるいは、入った年にどうも相性の悪い奴がいて、そいつにいじめられて不登校になる学生もいるし、1年浪人して翌年入ったことで、素晴らしい恋人に出会う人もいます。
何がよくて何が悪いのか、これ、人間の「物差し」では決まらない問題なんですね。そのことを私たちは頭の中に入れておかないといけないんです。多くの人が、お金持ちになりたいと思っていますが、お金持ちになったことで、息子さんが麻薬に走って逮捕されることもあるわけです。お金はあまりないけど、そこそこ幸せに生きている人もいます。だから、「お金持ちにしてください」とか「大学に合格させてください」という祈りを、私たち人間は凡愚ですからどうしてもしてしまうんですが、その願い事をゴリ押ししてしまうと、かえって不幸になる可能性もあるんです。
やっぱり、祈りには「南無の心」、すなわち「お任せします」という気持ちがないといけません。「私は合格したいと思ってます。だから一生懸命勉強しました。あとは神様、仏様がいいようにしてください」という祈りです。これがなく、ただ請求書の祈りばかりしていたら、かえって不幸の道を歩んでいくんじゃないか、そう思えてならないわけであります。
(浄土宗三宗教区が主催した講習会にて/文責編集部)
みやざき中央新聞
【ひろ・さちや】1936年大阪生まれ。東大文学部、同大学院修了。85年まで気象大学校教授。哲学、宗教学が専門。
仏教、キリスト教、イスラム教など宗教全般にわたる幅広い知識と分かりやすい評論にはファンも多い。著書には『地獄を生きぬく魔法の言葉』『阪神ファンの仏のこころ』『無責任のすすめ』など興味をそそられる本が多い。
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☆心はありがとうの森
3秒幸せ詩人 西本 敏昭
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