何も起きない一日にこそ
感謝して見よう
ありがとう
(ありがとうノートハッピープレゼントに書いた言葉より)
雑用という仕事
東大寺別当、筒井寛昭
『あなたを幸せに導く仏様からのアドバイス (今を生きるシリーズ)』ワニブックスより
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結婚をするとこんな愚痴をこぼす女性がいます。
「料理に洗濯、掃除に買い物…。家事なんて雑用ばかり。
夫や子どもにほめられるわけでも、感謝されるわけでもないし、嫌になる」
お金を稼ぐことや評価につながること、得をすることなど、
目に見える成果を出すことだけが大切だと思っているから、不満が出てしまうのです。
何事も「心の持ち方」ひとつで「やらされている仕事」が「周りを幸せにする役目」に変わります。
すべての行為を意義付けることが大切です。
家事も心を込めて、家族の幸せを願って行うといろいろなことに気が付きます。
例えば、食事前にテーブルをセッティングするとしましょう。
もし、雑用だと思っていたら、テーブルにごはんとおかずを適当に並べて、箸を置いて終わりです。
これが「自分の役目は家族に喜びを与えること」だと考えていたなら違ってきます。
「より美味しそうに見えるようにランチョンマットを敷こう。色はおかずや食器に合わせてこれにしよう」
そんな気持ちで仕度をするようになると、自分も相手も気持ちよく、
また、料理もワンランクアップする、などということになっていくものです。
こうした小さな思いの積み重ねが、やがてあなたの幸せになって返ってきます。
仏教に「因果応報(いんがおうほう)」という言葉があります。
ややもするとこの言葉は、悪いことをしてバチが当たるというようなイメージを抱かれがちですが、
本来の意味合いからするとそんなことはありません。
「幸せになってほしい」というあなたの優しい思いが周囲に以心伝心し、いつかあなたに返ってくるのです。
会社でもそうです。
毎日のコピー取りも、お茶くみも大事な仕事。
そう考えると、「雑用」なんてないのです。
すべての行動に心を込めながら行うことが、あなたに幸せを呼び込むのです。
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「雑草という草はないんですよ。どの草にも名前はあるんです。
どの植物にも名前があって、それぞれ自分の好きな場所を選んで生を営んでいるんです」
だから、人間の一方的な考えで、これを切ってはいけない、と。
昭和天皇の有名なエピソードだ。
同様に、雑用という仕事はない。
すべての仕事に目的があり、意味や意義があるからだ。
『ノートルダム清心学園の渡邉和子さんが、修道会にいたときのこと。
食事の準備のために、食卓にお皿を配っていた渡辺和子さんに、あるシスターが寄ってきて訊ねた。
「あなたは今、何を考えながらお皿を配っていますか?」
渡辺和子さんは戸惑いつつ、「いえ、何も考えていません」と答えた。
そのときシスターは、
「あなたは時間を無駄にしています。
なぜ、このお皿を使う人の幸せを祈りながら配らないのですか。
この世に雑用という仕事はないのですよ」
そう教えてくれたという』(22世紀への伝言)より
「念」という字は「今」と「心」からできている。
今ここに、心を込めるということ。
すべての仕事や行動に意義を見いだし、そこに念を込めて生きていきたい。
♪( ^-^)/★,。・・:,。★\(^-^ )♪ありがとう
♪3秒で幸せ♪
たった今に念を込めて行なう
ありがとう ありがとう ありがとう
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料理に洗濯、掃除に買い物
奥さんがそんな日常をやっても誰もほめてくれないし、「ありがとう」の一言もない。
「家族からありがとうと感謝されていますか?」と聞くとほとんどの人の答えは
「いいえ」
でも、その中に「うちの家族はありがとうと必ず言ってくれるんです」という人がいます。
この違いはなんでしょう?
その違いをのぞいてみたくなるでしょう(^^)
たぶん、行いとしては料理に洗濯、掃除に買い物
同じことをしているのでしょう。
ただ、同じやっても「より喜ばれること」を何かプラスしている人に
「ありがとう」がやってきているのではないでしょうか?
特に食事をしながらその奥さんがその日の
「愚痴・不平不満・悪口・文句・泣き言」
を言っているというのは「ありがとう」が生まれにくいでしょう。
雑用という仕事 にしない。
喜ばれるという念を入れる。
ありがとうが生まれます。
今日もうれしく、楽しく、幸せに、ありがとう♪
幸せの波紋広げて ありがとう
あなたの心に幸せの風がここちよく吹いてきます。
。:.゜ヽ(*´∀)ノ゜.:。+゜