ありがとうは幸せの種 言葉のチカラであなたは幸せになれます。あなたが開運する言葉や考え方、人生の楽しみ方などを紹介しています。
『幸せをひらく鍵』
というお話を 紹介しますので時間がある時読んでみてください。
↓
子育て真っ最中の人と話していると
「毎日忙しくて、あっという間に時間が過ぎてしまう 今がいちばん幸せなのかもしれないけれど、歳をとってから振り返ってそう思うのだろうね」
というようなことをときどき耳にします。
ほんとうにそうだ、と思いつつも、幸せとは幸せなときには感じていないものなのかと、ふと考えてしまいました。
私たちは「これがあれば」「こうなれば」幸せなのにと思うばかりでいまが幸せだとはなかなか思わないのです。
幸せを噛みしめる瞬間というのは、ないわけではありません。
たしかに、人生には何度かあるかもしれません。
が、よく考えてみると、それはなにか大きな苦しみが解消したときなのです。
たとえば、受験で望む学校に苦労して合格したときなどは、幸せの絶頂のような気がしますが、それは
苦しみの量に比例して幸せ感が大きかっただけで、つぎにまた、学校に通う苦しみがちゃんと始まります。
結婚は幸せの代表格です。
ですが、結婚式がゴールかと思っても、シンデレラの物語のようにそこでお話は終わるのではなくて、その後の結婚生活で、どんなことが待ち受けているのかは、わかったものでは
ありません。
そして、その毎日の日々の生活のなかで、とくに不幸がないときには、退屈して何かを求めているのです。
平和で食べものにあふれ、長寿の国にいて、私たちが幸せを感じていないのは、皮肉なことと言わざるをえません。
実際、食べるものがなければ食べものがあることが幸せだと思うのですが、食べものが
あるならば、なにかおもしろいことはないかな、と探すのが私たちの正直な姿ではないでしょうか。
いつもいつも、なにか満ち足りないものを抱えて生きている 慢性の欲求不満とでも言いましょうか。
生きること自体が常に何かを求めていることの連鎖なのです。
さらに、こんなふうにも考えられます。
現状に足りないところを見つけることがとても上手で、それを満たすとで幸せになると思うのならば、幸せは永久にやってこないことになってしまいます。
いつでもなにか不満な点を見つけることは簡単にできますから
「幸せになりたい」ということと「現状では満たされない」ということは表裏一体なのです。
つまり、
幸せを求めることは、「いま、不幸である」ということになります。
しかも、ゴールなく、つぎつぎに
求めていくとすると…… 幸せを求める人は幸せになれない、というパラドックスになってしまいます。
「小欲知足」は、このカラクリを破ることばです。
求めて得ることに幸せがあるのではなく、自分のなかの不満感を切るのです。
わざわざ不満感をクローズアップして、それを攻撃する必要はありません
お釈迦さまがおっしゃったのは、「満足していなさい」です。
スマナサーラ長老は、現代のことばで
ズバリ「充実感」と訳してくれました。
「充実感」「充足感」「満足感」──私たちそれぞれにぴったり
理解できることばでよいと思います。
「小欲知足」と聞くといきなり、つつましい生活でがまんすることだと思ってしまうこともあるかもしれません。
「がまんする」と思うと、そこに不満が隠れています。
それで、もう、不幸に浸蝕されているのです。
きりのない欲で求めて求めていくのではなく、いついかなるときも、満足感を感じていられることが「小欲知足」です。
さて、幸せの鍵はここにありました。
でも、鍵を見つけただけで幸せになれるわけではありません。
実際に鍵を挿して回さなければなりません。
回すのは私たちひとりひとりです。
人生のあらゆる場面で、具体的にこの鍵を使うことが、私たちのチャレンジです。
鍵を使えば、幸せになったうえに、智慧まで開発されるという折り紙つきです。
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