ありがとうの森ブログNo.943
メールマガジンありがとうの森No1,382
毎日感動、毎日奇跡、毎日ありがとう
「ありがとうの森」
おはようございます。
今日は、心の平安と出逢える方法教えます(^O^)/
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
たとえば夜、寝る時にあなたは何を考えていますか?
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
「そんな~、すぐに寝ちゃうから、考えてる間が無い」
なんて人もいるでしょうね(^.^)
ありがとうの森さんは、子供の頃、空想少年でした。
いろんな空想をしながら、眠りについていました。
これが楽しいんです。
ありもしないことを空想する。
行きたいところを空想して旅する。
有名な人と結婚してめちゃめちゃ笑顔で暮らしている。
いろんなことを空想しながら眠りについていました。
それが、段々と小学生、中学生、高校生と
歳をとるにつれて空想する世界観も変わっていき、
さらに大学生になる頃には、かなりエッチなことも空想していた気がします(^_^;)
そして、社会人に
そうするとそれまで、寝る時に楽しかった空想は
段々と変化していった気がします。
仕事をするようになって、明日はこれをしなきゃいけない。
次は、これをしなきゃいけない。
みんなの前でしゃべる時は、何を発表しよう?
なんていうふうになると、頭の中は堂々巡り・・・・
心のどこかに
「心配」「不安」「自信の無さ」
そんなことが考えれば考えるほど、湧き上がってくるんですね。
答は出ないままに、眠りにつくのに時間がかかる・・・
そんな日々が多くなっていた気がします。
そして、病気という経験をしたころからでしょうか
それが、すっかり「ありがとう」のリフレインになっていったんです。
どうしようとか、不安とか、心配よりも
「感謝」
というふうに心を持って行くように自分でも意識したんです。
人間、考えすぎると、負のスパイラルに落ちてしまう。
いわゆる、鬱(うつ)になりやすい人ってそんな人かもしれないですね。
それは、成長したい、頑張らなければという階段のかけ違いになってしまう。
そうなんです。
だから、負の部分にスポットライトを当てすぎている
自分がいたとしたら、
そこから、そのライトの当てるところを変えてみたらいかがでしょうか。
そこで、今日のお薦めです。
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
夜寝る時は、自分のことを考えるよりも
「誰かの幸せを願ってみる」
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
人間、「自分の幸せ」を考えている人よりも
案外、「他人の幸せ」「他人の喜ぶ顔」を想う方が、
「不安」「心配」からサヨウナラできるようです。
わたしは、最近そんなことをすごく実感しています。
今晩、ぜひ布団に入ったら、思ってみてください。
だれかの 「し・あ・わ・せ」を願う
これで翌日、あなたは心の平安と出逢うことができるんです。
いい眠り、いい目覚めに出逢えますように(^.^)
眠りにも七色の虹を かけてゆこうね♪(^^♪
人生眠りが三分の一、眠りにも魔法をかけていこうね♪(^^♪
そして、「ありがとう」です(^.^)
今日もありがとうの森行きのバスに乗って
「幸せ一万尺」「ありがとう一万尺」♪出発進幸!(^^)!♪
(^O^)/ありがとうは幸せの種、幸せ習慣
ありがとう、ありがとう、ありがとう・・・・
●◎●◎●◎●◎●◎●◎●◎●◎●◎●◎●◎●◎
☆心はありがとうの森
3秒幸せ詩人 西本 敏昭
http://merumo.ne.jp/00585507.html
「ありがとうの森」先頭ページへhttp://arigatounomori.iinaa.net/
メッセージありがとう
↓
にしぽん村長殿 今日もありがとうの森行きの列車に乗れました。 私も病気持ちの身です。 ですが、ありがとうを言い続けているお陰様で、 その病気にも、ありがとうが言える様になってきました。 村長さんは、ガンをいただいたときに、正直どんな想いをされましたか? ブログにも、書かれていた事は、知っておりますが、 本音の本音。 赤裸々な感情は、なんでしたか? 私は、18年も今の病気と連れ添っています。 山あり、谷ありで、様々な感情を通過させていただきました。 未だ寄り添っていますが、 最期の最後に、ありがとうと言って笑えたらハッピーだよねえ。 と、考えております。 村長さんの言われる様に、 寝る時、自分のことを考えるよりも 「誰かの幸せを願ってみる」 事にします。 ありがとうと言って、 誰かの幸せを願えば、 その願いは叶うです。 村長さん。 いつも、たくさんの学びを与えて下さり、 心から感謝しております。毎日、寒いので、ご自愛下さい(工藤さん)
↓
ありがとうございます。
そうですねわたしの場合は肩甲診断で再検査となった時に、ひょっとして来たか!って感じでしたね。まさか!の気持ちもあったでしょう。今となっては、いろんな芝居をお医者さんにうたれた気がしますが、治せばいいんだと思えました。風邪をひいたら治せばいい。ガンになったら治せばいい。心配よりも、治せばいいんだ。治るんだと思えたのです
まさに病気は気が病むと本当に治らない、余計に悪くなる気がします。
たとえば、頭が痛い時に頭が痛い、痛い、痛いと思うと余計に頭が痛くなります。
ところが、楽しい事をしたり、歌を歌った気を病気の枠から外せば、頭の痛みは感じなくなります。
人間の体の不思議な仕組み、心と体は一致するような気がします。
最終最後にいろいろあっても、感謝することができました。
今では、あれはガンではなかった、でもお医者さんを許そうと思っています。
病気も自分で作ったものだから、自分で治せる。わたしはそう思っています。
(ありがとうの森)
感謝の返信させていただきます。 病は気から。 遠い昔から、言われていることば。 私の場合、本当に気からきています。 想いの丈が強すぎ、囚われ、手放せず、握り締めている。 でも、今の病気になったのにも、神様が何かを教えたくてさせていただいているんだと、最近になって(有り難うをたくさん言える様になって)、思えるのです。 辛い時もあるんです。 それもありにして、感謝して、村長の如く、自分の心で、治します。 もしかしたら、最期の最後まで一緒かもしれませんが、 それもありきと、気持ちを強く持ちます。 励ましを頂き、有り難うございました。(仰せの通りさん)
[10回]