ありがとうは幸せの種 言葉のチカラであなたは幸せになれます。あなたが開運する言葉や考え方、人生の楽しみ方などを紹介しています。
昨日は、母の日より一日早く
自分を産んでくれた母を連れ出し食事をしてきました。
平生町の神護寺へ精進料理を予約して、
むかったものの、山の頂上にある
神護寺に着いたのは色々あって13時半。
母は、腰が曲がり坂道を歩くのもやっと。
妻と両脇を抱えてやっとたどり着きました。
母は、味つけの濃い料理が苦手で
そういう料理には、まったく箸がすすみません。
いただいた精進料理は、品数が盛りだくさん✨
薄味の精進料理に「美味しい、美味しいね〜」と
食べてくれた母の姿に喜びがあふれました。
遠出自体が、なかなか出来にくくなった母。
あと、何度こうした時間を過ごせるのだろうかと思うと、
貴重な貴重な一日だったな〜
母さん、
あなたがいると思うだけで、心が強くなれる✨
ありがとう
ありがとう
ありがとう
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◆生きているということは、
誰かに借りをつくること ◆
藤尾秀昭
『生きる力になる言葉』致知出版社
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小さなスパンでは、不順もありますが、季節は確実にめぐっています。
「四時(しじ)の序(じょ)、功(こう)を成したるものは去る」
という言葉が『十八史略(じゅうはちしりゃく)』にあります。
四時というのは、春・夏・秋・冬のことです。
春は春の役割をしっかりと果たして夏にゆずっていく。
夏も、秋も、冬も同じです。
それぞれの役割を精一杯果たして、次の季節に移っていくわけです。
何千年、何万年と続く宇宙の摂理から、人間も逃れられません。
役割を果たした人は常に、次の人にバトンタッチして、冥界(めいかい)に移っていきます。
言い換えれば、いま、ここに生きている私たちは自分の役割を果たさなければならない、ということです。
どんな偉大な指導者も、哲人も一人で人格を形成した人はいません。
人は皆凡夫なり、と聖徳太子はいったそうですが、
人は皆、縁の中でしか生きられない、その意味では人は皆一様に凡夫です。
一篇の詩が思い出されます。
どなたかの作かは知りませんが、時折、思い起こしては自らを省みています。
生きているということは、誰かに借りをつくること
生きているということは、その借りを返していくこと
誰かに借りたら、誰かに返そう
誰かにそうしてもらったように、誰かにそうしてあげよう
誰かと手をつなぐことは、その温もりを忘れないでいること
巡り合い、愛し合い、やがて別れのその時、悔いのないように今日を明日を生きよう
人は一人では生きてゆけないから
誰でも一人では歩いてゆけないから
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
どんな人であろうと、誰であろうと、人は赤ちゃんのとき、
母親に世話をしてもらったから大きくなることができた。
「おむつをかえてもらった」
「お乳をもらった」
「着替えさせてもらった」
「抱っこしてもらった」
「熱のあるとき必死になって看病してくれた」…。
同様に、幼稚園、小学校、中学、高校と、まったく親の世話にならずに、
学校生活をおくれた者もひとりもいない。
仕事も家庭も同じで、誰かのご縁とお世話があったから、今がある。
死ぬときも同じ。
死んだあとは、必ず誰かのお世話になる。
人の世話になって生まれて育ち、人の世話になって死ぬ。
だからこそ、生きている間は、そのご恩返しをしておきたい。
「生きているということは、誰かに借りをつくること」
借りを返すとは、人様に喜んでいただくこと、お役に立つこと。
お借りしたご恩を、少しずつでも返してゆきたい。
「人の心に灯をともす」より
♪( ^-^)/★,。・・:,。★\(^-^ )♪ありがとう
♪3秒で幸せ♪
今日の日にひとつ恩を返して
ありがとう ありがとう ありがとう
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